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昨日行われた全日本実業団対抗女子駅伝予選会、
岩谷産業の2区飯田怜選手の「這いながらの襷わたし」が話題になっている。
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10/21(日) 13:12配信
全日本実業団対抗女子駅伝予選会で、岩谷産業の第2区・飯田怜(19)が残り約200メートルで走ることができなくなり、両膝を付き、四つんばいになって第2中継所の勝浦浜を目指すアクシデントがあった。
第3区の今田麻里絵は目に涙を浮かべながら、飯田が必死につなげようとしているタスキを待った。飯田は膝をすりむきながら進み、なんとか今田にタスキをつないだ。
参加27位チーム中最下位となったが、そこから一丸となって盛り返し、チームは21位でフィニッシュした。
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このことについて、青学の原監督がコメントをしているが、
コメント内容を聞けば、長年「駅伝競技」を見ている方ならば、前進し続けた理由にすんなりと納得だろう。
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10/22(月) 16:00配信
青学大陸上競技部の原晋監督(51)が22日、TBS系「ひるおび!」(月~金曜前10・25)に生出演。21日に行われた全日本実業団対抗女子駅伝(11月25日、宮城県)の予選会で、2区の岩谷産業・飯田怜(19)が第2中継所200メートルほど手前から、はいつくばりながらたすきをつないだ件についてコメントした。
3区にたすきをつないだ場面の映像を放送した後で感想を求められた原監督は「これはもう、駅伝の光と影を見ましたよね」と切り出し「やっぱり仲間の絆。これを、たすきが渡らなかったら次の走者は失格になりますからね。影のほう『ここまでやらなきゃいけないのか!』というようなね。視聴者の方も感じた方もいらっしゃると思いますけど。でもこれが駅伝なんですよね」と語った。
はいつくばってまでたすきをつなぐことについて、原監督は多くの社会人チームでは合宿所で共同生活を送っていることを紹介し、「夏合宿ともなると何十人も1カ月近く同じ屋根の下で強化合宿をしていますけど、苦しいことも一緒にやってきた仲間の意識が強いんで、ただたすきを渡すだけではなくて、そこには家族としての。個人競技だったらまずやめていますね」と駅伝の特徴を語った。
飯田がはいつくばった200メートルの様子について、白線の上を選んで進んでいる冷静さを指摘しつつ、原監督は「これで終わっちゃうと棄権なので、チームとしての成績がなくなるというようなところ。『じゃあ仲間と1年間頑張った努力は何だったのか』というのはありますよね」と胸中を推測。「会社の社員の皆さん、チームにはトレーナーと栄養士さん、監督・コーチ、家族、すべてが、皆さんの支えがあって(選手は)この駅伝に出させてもらっていますからね。ただ、決して一人で背負わないで欲しいですよね」とおもんばかった。
同日の大会では、3区で三井住友海上・岡本春美(20)が棄権となった。番組では、岡本が走行中に蛇行をはじめ、途中棄権となるまでの経緯を紹介。原監督は「そろそろルール改正といいますか、申し合わせ事項というものを作らなければいけない時期にきている」と語り、気温の上昇で大会中にアクシデントが起こりやすくなっていると指摘した。
箱根駅伝ではルール改正が行われ、昨年から選手の状態を知るために選手の体に触れても良いと明文化されていることを紹介し、この女子駅伝を主宰した実業団連盟に向けて「次年度以降のルール改正を話し合うべきタイミングだと思います」と提案した。
飯田はレース後に右脛骨の骨折で全治3~4カ月と診断された。
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二つのニュースを転記させてもらって、ここからkomaのブログは本題に入る。
岩谷産業の飯田選手のニュースを見聞きし、駒大ファンが思いだすのはやはり箱根駅伝で、
それも、2015年5区の馬場翔大君(現NTT西日本)だ。
馬場君は中学、高校とトップ選手として地元岡山で活躍。
期待されての駒大入学だったが、期待通り、2年から駅伝チームのレギュラーになった。
そして、2年時は全日本大学駅伝6区区間賞。箱根駅伝は難しい5区を区間3位。
3年時は全日本大学駅伝8区区間5位と健闘し、
エース区間をアンカーとして日本一(優勝)のゴールテープを切っている。
ここまでくれば、当然、3年時の箱根は大きな期待を背負って5区を走ったが、
首位を青学大の神野君に明け渡すどころか、
低体温症状で区間17位に沈み、最後はフラフラでゴールに倒れ込む。
優勝のかかるチームのために、レースをやめるわけにはいかなかったのである。
その後、馬場君は競技を辞めようと思ったらしいが、家族、チームメイトの支えで競技続行を決意する。
そして、4年時は出雲駅伝4区区間5位、全日本大学駅伝は何と6区区間賞、そして箱根駅伝を迎える。
大八木監督に走る区間を自分で決めていいと言われたが、
5区でリベンジをしたい気持ちを抑えて、馬場君はチームの勝利のために8区を選択する。
笑顔で走ると決めて、7区を走った後輩の西山雄介君から襷をもらい走りだす!
そして、笑顔で渡すと決めた襷は、確かに同級生の二岡康平君に笑顔で渡るのである。(左が馬場君)
しかも、区間賞にあと一歩と迫る、区間2位の快走だった。
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馬場君が、全国のファンが注目する箱根駅伝の大舞台で、往路優勝目前で「大失速」した無念と失望。
その、失意の馬場君をサポートして支えた家族とチームメイトがいて、
そのサポートのおかげで、馬場君は再び走り出す。
最後の最後は笑顔をもって、それまで支えてくれた家族とチームメイトに最高の走りで恩返し。
これがチームスポーツのいいところじゃないかと思うのである。
そして、これこそ駅伝が「走るのをやめられない理由」なのだろう。
さあ、岩谷産業の飯田選手は19歳とまだ若い。
来年の走りっぷりが楽しみになってきたのは、komaだけではないだろう。
だからこそ、飯田選手にみんなでエールの風を送ろうではないか。
飯田選手、
ファイト!